2011年10月9日のライヴに寄せて
※以下、MM誌2010年6月号に掲載された当方(原田)のジョー・バターン初来日に寄せた原稿を無断転載します。で、基本的には初来日も再来日も嬉しいことに変わりナシです。
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何というか、ま、はっきり言って、
レコード・コレクターズに連載中の、
コモエスタ八重樫さんのコラムのパクリ以外のなにものでもありませんが...。
「ジョー・バターンが来日する!」
マスター曰く「いや〜、長生きはするもんだ、びっくりだよ、ジョー・バターン来日!これは事件ですね。で、A君は行くの?行かないの?」と、突然尋ねられ、少々たじろぎながら、暇そうな音楽酒場にたった一人の若いお客さんA君は、カウンター越しにマスターへ問い返す。「そのジョー・バターンって誰ですか?いったい」マスター(以下M)応えて「え〜、この前、ブーガルーのLP、いっぱい聞かせたじゃん」
A君「って言われてもなあ...。ああ、あのサルサのウィリー・コローンのデビュー作とかですか?」
M「そうそう、でもサルサじゃなくてブーガルー、NYのプエルトリコ移民の二世三世達が、両親が聞いたラテン音楽に、自分たちの世代にフィットするR&B感覚をミックスして作り出した混血音楽です。コローンはややジャジーだけど、このバターンはドゥーワップ感覚が強いかな」
と言いつつマスター、ジョー・バターン1967年のNYはファニア社からのデビュー作の冒頭曲>>click“ジプシー・ウーマン”をかける。
A「おおっ、カッコイイですねえ、バックはラテンっぽいけど英語で歌ってますねえ。パーカッションとブラスが効いて、勢いありますね」
M「そうトロンボーン。当時のエディ・パルミエリ楽団の演奏スタイルを真似てるんだけど、やってる曲はR&Bヒットで、インプレッションズのカヴァー。で、この伸び上がって行くようなヴォーカルがバターン節って呼ばれてる、独特でしょ」
A「う〜ん、ソウルっぽくもないし、ラテンの歌い方とも違うし、それになんかやけに不良っぽい感じで」
M「十代からストリート・ギャングで、刑務所にも何回か入って、服役中にピアノを学んで出所。で、このデビュー作がヒットして、同じ年に更に2枚もLPを出す勢いだった」
A「にしてもバターンバターンって倒れてるみたい、変な名前ですね」
M「まだ若いのに、オヤジギャグですか?あのね、バターンという名はフィリピン人だった父がつけた名で、本名はバターン・ニトラーノ、お母さんはたぶんプエルトリコ系黒人だった。生まれはNYのイースト・ハーレム、ヒスパニック系の人が多く住んだ地域。それにしてもフィリピンのバターン半島から取った名だと思うけど、フィリピンでもそんな人名はあまり聞かない。含蓄たれますが、バターンの生まれた1942年は第二次大戦中で、米国の植民地だったフィリピンが日本軍に占領された年。でもってその主戦場がバターン半島、全く、どういうつもりでそんな名を息子につけたのか...」
A「なんかよくわかんないけど、複雑な感じが漂ってるっていうか」
M「でも、そのなんだかよくわからない感じがこの人の魅力かな。それに、バターンの歌い方って、母音のところで伸びて行って節をまわして、なんかアジアっぽくない?」
A「........」
M「返事なしですか!ま、それはそれとして、大体ファニアから登場した若手達、コローンも、ボビー・バレンティンもラリー・ハーロウも、早々にブーガルーは卒業して、先輩のレイ・バレートとかパルミエリ兄弟とか、ジョニー・パチェーコあたりと共演しながら、ラテン回帰へと路線変更して行く...」
A「あっ、アレでしょ、ファニア・オール・スターズのライヴ」
M「そうアレです。NYサルサの誕生です。やっぱりオレ達はヒスパニックだ!みたいな帰属意識の中でサルサを作り上げて行く。でも、コローンなんかスペイン語できなかったっていうし、ハーロウはユダヤ人、ま、ある種、想像の共同体音楽とでも言えるかな、サルサは...」
A「で、バターンさんもNYサルサに参加するんですか?」
M「い〜え、しません。皆がサルサへ向かっているのに、一人でブーガルーの発展形、ラテン・ソウルを追求して、で、“サルソウル”へ行く。サルソウル・レコーズ知ってる?」
A「あれっ?知ってますよサルソウル、あれでしょ、ラリー・レヴァンとかフランキー・ナックルズがDJのネタにしていた、ディスコ系の...」
M「誰それ、ラリー・フランキー?」
A「やだなあ、ハウスのイノヴェイターですよ。へえ〜、でもサルソウルに行ったんだ、バターンって」
M「ハウスね、よくわかんないけど。でもバターンは73年にメリカーナ・レーベルから“サルソウル”っていうそのものズバリの題名のLPを出して、翌年にはサルソウル創立に関わっていたはず。けれど80年頃に>>click“ラップ・オー・クラップ・オー”っていうヒットを飛ばした少し後、シーンから消えちゃう」
A「あ〜、その曲も知ってます。ごく初期のディスコ系ラップ・ヒットなんですよね、へえ〜あの曲もそうなんだ、なんかけっこう凄い人?」
M「その後、自分の若い頃の経験を活かし、不良少年相手のカウンセラーしてたらしいだけど、05年に突然カムバックして、国内盤でも復活CDとDVD出てるし、去年も新録が出た。>>clickこの辺 聴いてみよう」
A「おお、カッコイイですねえ、あんまり、年取ってないですねえ、若々しい」
M「昔の名前で出ていますって雰囲気だけど、やっぱ唯一無二。よくよく聞くとブーガルーからもハミ出してたし、もちろんソウルでもサルサでもない。ディスコにもなり切ってないし、ハウスとかラップとかに辿り着く感じでもない。ジャンルとかから全く自由だよね。自分の身体性とか、自分の気性のあり方とかさ、歌い口の癖とかに密着し切っているスタイルって言うか...。大袈裟に言えばJBとかプリンスにも匹敵する唯一無二さだよね。この人が、もし自己演出にもっと長けていて、チャンスに恵まれてたらさ、JBとプリンスをつなぐような“音楽的な個性”になりえたんじゃないかな?」
A「ちょっと、何言ってるかわかんないですけど、確かにほかでは聞けない感じは伝わる、クールですね!」
M「で、ライヴ行く?行かないの?」
A「行こうかな、でもマスター、この間みたいに酔って踊りまくらないで下さいね、スゲー恥ずかしいから」
M「うるせ〜っ!」
というわけで、全員行こう!
2010年2月6日 業務連絡>> 〜NEW ARRIVAL BEST 10より転記
何となく、ついていませんねえ、店のPCがクラッシュしてしまったことはもちろん、愛用の黒縁眼鏡を踏んでダメにしてしまったり、そのほかいろいろ...。ま、いつものことなんであまり気にしても仕方がないのですが、それにしても自宅のPCのメモリーの足りなさが恨めしい。壊れてしまったPCなら10分でできる作業が1時間はかかる。それというのも、当サイトを作っているソフトがどういうわけか、あまりにも重いからなんですが、家人に借りて店に持って行った代用PCにはそのソフトが入っていないので、家に帰っても仕事をしなければならないはめに...。早いところ新しいMacを買ってしまった方がどんだけ楽だったか、と思いつつも、諸般の事情をかんがみて、1週間で直るという言葉を信じ、さる業者にハードディスクのリカバリー&本体の修理も頼んだんですが、再度壊れました、という連絡を受けて2週目突入、なんだかわけわかりませんねえ。クィックなんとか、というような業者さんなんですけど、担当の人はとてもイイ感じの中年男性なんですが、どこがクィックじゃ!と一言いいたいような気分にもなります。と、愚痴ばっかりの人生、ほか、もろもろのことも含めて、まったく。
ともあれ、当方のサイト、自分としてはこのかたちにそれなりに愛着はあるものの、今時、検索もできないし、どうも散漫だし、見づらいところも多々あるし、古いデータがいっぱいだし(削除するのもけっこう大変で....)、これを機会にもっと簡易で見やすいスタイルのサイトに変えようとか思っているわけですが(何年たっても全然使いこなせないクラシックなソフトとももうお別れしたい!)、まあ、いづれはそーゆー風にするにしても、こーゆー了見、というかバックアップを取ることに考えも及ばない人生なものですから、それもいつになるやら、いつまでも問題アリですよ、まったく。
というわけでこのままじゃいけないので業務連絡です。その道の専門家、星野く〜ん、SOSです!電話番号もみーんないっしょにクラッシュしてしまったから、電話もできないありさまなんで(ご存じの通り、自分携帯持ってないし)、ココ読んだら早急に店に電話して下さい。フォーマット相談したし、試聴もできるようにしたいので、ひとつチープな価格設定でよろしく!
2009年6月14日 〜NEW ARRIVAL BEST 10より転記
三沢が逝ってしまいました...。以前、ノアの後楽園ホールにごいっしょさせていただいたこともあるお客さま、Fさんから昨夜、メールで報らされました。ちょうどFさんは昨日も当方にお見えになっていて、いっしょに1990年夏の後楽園ホールに於ける故橋本真也 vs 栗栖正伸の映像をPCで観たりしていた矢先でした。Fさん達がお帰りになった後、なぜか一人、久しぶりに youtube で三沢&力皇 vs 小川&村上や、遠く遡って力道山 vs 木村を観たりしていました(自分が生まれてもいない頃の試合ですが...)。
何というべきか、ムシが報らせたのかも知れません。長くプロレスを見続けて来ましたが、力道山以来の伝統を持つ日テレのプロレス放映が(たとえ深夜枠であれ)、この春とうとう打ち切られ、深く溜息をついたりしていたので、何とも、三沢の急逝はトドメを刺されたように堪えます。熱心な三沢ファンだったことはありませんが、21世紀に入ってからこの方、日本のプロレスの屋台骨を支えていたのは三沢光晴だったことは間違いありません。
皆さんとともに、冥福を祈りたいと思います。
2009年5月30日 〜NEW ARRIVAL BEST 10より転記
皆さん、生活習慣病と診断され、できることならやめた方がいいですけど、ただ、完全にやめてストレスになるのも、かえって身体に悪いから、まあ、ほどほどにした方がイイですよ、などと、CD等の買い控えをお医者?とか周囲の関係者各位とかから申し渡されている重度生活習慣病、というか、ワールド系音楽依存症の皆さん!いかがお過ごしでしょうか?
いや〜、不景気ですねえ、ホント。まあ、当店におきましては、オープン以来、不景気じゃなかったことなんてあまりあったためしはありませんから慣れています。が、いろいろと本当に大変な思いをされている方も多いかと思います(特にワールド系生活習慣病の方々は、いろいろと大変なことになりやすい体質をお持ちの方が多いようなので...)。でも、「いつかそのうちいいことあるよ」なんて決して思わずに、今、現在にできるだけ取り組みましょうね、今日がダメならせめて明日、ですよ(な〜んて偉そうなことを言ってますが、ワタクシも「いつかそのうち...」と言い続けて早数十年、"いつかそのうち" というのは、いつまで待っても来ないものと、やっと気づきましたよ、この歳になって...、アホですな)!
とはいえ、面倒なことにはやっぱり向かい合いたくないし...、なるべくなら根性入れずに生きて行きたい、という思いもこみ上げて来ます。それに、どんなに一人で努力してみても、なかなか報われるようにはできていない世の中です。あ〜あ、どーしましょ、という感じですが、そーゆー時は他力本願です!いろんな人に当たって砕けろ!ですねえ、やっぱり、何ごとも人間関係の中から生じるわけですよ、たぶん。
というわけで、今後の入荷予定、久々に告知しましょう。すべて他力本願、いろんな方々のご厚意に甘えた結果、これから夏あたりにかけて、いろんなCDが入荷しますので、以下、よろしく、お願いします。
まずは、謎の野球青年“ヨコシ・ザ・スラッガー”が、堂々買い付けしてくれました本邦初入荷となるウズベキスタン現地CD!まずはPOP系CDを早々に御紹介するつもりです。既にフライング気味に東京レコオヤジさんのブログで御紹介にあずかり、ご注文が殺到しているわけですが、まあまあそう焦らずに...?ほかにもイイものたくさんありますから...、とはいえ、早々にご紹介したいと思っています。で、次は、サラーム海上トルコ買い付けCD〜正規のルートには乗りにくい、ひときわディープでレアーでヘヴィーでラブリーな現地ストリート系というか大道において流通しているというCDRの買い付け品!そして、引き続き心斎橋プランテーションさんからいずれ届く予定のベトナム現地POPアイテム&往年のタイ歌謡おいしいところ復刻新シリーズ!加えて、当方のバルベス特派員、ジャンゴ・ハタノ買い付けによるダフマーンの息子さんも含む近年のカビール〜シャアビ系CD充実アイテム!ほか、“いつものOさん”が「輸入盤屋さん入れて下さい!」とMM or コレクターズ誌上で訴えられていたフレンチ・カリブもの&レユニオン復刻もの!などなど、これから夏にかけて、いろいろと通常の国内マーケットでは入手困難なCDが入荷する予定ですので、乞うご期待です!
...
と、もう一つ、大切なことを忘れていました。ホセー・アントニオ・メンデスのリリースから早2年、エル・スール・レコーズ第2弾、またまたフィーリン系ということで、昔のキューバ音楽となりますが、この初夏にはリリースできればと思っています。発売日等決まりましたら、また、お知らせさせていただきます。
よろしく、どうぞ。
2008年11月16日〜from staff より転記
というわけで、ここ2年間、極端なユーロ高のせいで、ほとんどのギリシャ盤CD新譜の入荷を見送って来たわけですが、こうして久々に女性歌手だけとはいえ、まとめて新譜を聴いてみて思うのは、まあ、やっぱり、変ってないなあということで、確かに21世紀に入り、デスピナ・バンディやエリ・コッキヌー、エレーナ・パパリゾーウなど、ゴージャスなダンス・ビートを取り入れたスターが登場したこと、そのフォロワーが続いたということもありますが、まあ、そうした傾向も90年代のアンナ・ヴィッシやケティ・ガルビーの延長という感じだし、ここ20年間ぐらいは、ほとんど、いわゆるモダン・ライカ・シーン、つまりギリシャ歌謡のメインストリームは変わってないんじゃないかと、そういう気がします。
そんな中で、ちょっと気になるのは“フェイム・ストーリー”とか “ドリーム・ショウ”とかいうスター発掘番組出身の新人が何人か登場していることで、まあ、アラブ圏でいえば“スター・アカデミー”、日本でいえば、70年代から80年代初めにかけて多くの人気歌手を輩出した“スター誕生”にあたるような番組だと思っていいでしょうが、そのスター発掘番組の功罪ということになると、もちろん、素晴らしい歌手が見いだされることもあるわけで、山口百恵だってあの番組の出身者だったわけですが、けれど、それにしても、全体として振り返ってみるならば、やっぱりあの番組は、特に後半期、それまで歴然として線が引かれていた素人と玄人の境界を曖昧にしてしまったということもあって、そのアマとプロの境界が曖昧になったシーンの中で、日本の場合、歌謡曲の地盤沈下、及びカラオケ・ブームが始まってしまったということも、結果的にはあったと思います。
今回紹介させていただいたギリシャのスター発掘番組出身者は、なかなか歌唱力もあり、さすが、アラブ歌謡ととともに、世界的にも高い水準を保ち続ているギリシャ歌謡界ならではの新人という印象はありますが、今後、どういう影響をギリシャ歌謡に与えるのか、ちょっと気になるところですね。
アラブの“スター・アカデミー”出身者に関しても、ちょっと行く末の見えないところがありますが、今のところ、アラブ歌謡界全体から見れば微々たるもの、何と言ってもアラブ歌謡は層が厚いし、聴き手の人口というものが段違いですから、一千万人そこそこしかいないと思われるギリシャ歌謡リスナーとは人口において較べものにならず、心配するほどのことではないのですが...。
その意味では、聴き手の人口が少ないことで純度を保って来た、というか、実力がある限られた者以外に活躍の場が与えられることはなかったと見える局所的なギリシャの歌謡世界ですから、こうして素人発掘番組から見いだされた歌い手が何人か、近年CDをリリースしている現状を知ると、ちょっと心配になってしまったりして、まったく神経質なことを言ってしまって、申し訳ありません、という感じですが....、杞憂に終わることを祈ります。
って、でも、3作目のエレーナ嬢はもとより、2作目のナンシー嬢も、デビューのアマリア嬢も、かなり気に入ってしまったんですけど。なんというか、新鮮ですねえ、やっぱり、って、何を言いたいんだか、長々とドーモすみませんでした、という感じですねえ。
08年9月14日〜from staff で書き始めたものの、あまりにもバカらしいし、紹介アイテムとの関連性がまったくなかったので転記
昨日のこと...、昼間、電車に乗っていたら、お婆さんとお爺さんが乗って来たので、自分は席を譲ろうと思い、立ち上がろうとしたんですけど、ふと見上げたそのお婆さんの顔を目にして立てなくなってしまいました。腰を抜かした、と言っても過言ではなかったかも知れません。なんでか?あの〜、その、まったく意味不明なんですが...、そのお婆さん、けっこう化粧が濃かったんですが、眉の線が、まぶたの上と加えてもう一本、オデコの方にも引いてあるんですね、よ〜くよく見ても左右2本づつ、つまり合計4本の眉を描き引いていた。それだけのことなんですけど、なんか、スゴイ怖いわけですよ、お顔が。とてもではありませんが、席を譲るような勇気が出てこなかったわけです。で、お爺さんの方を見てみると、お爺さんもそのお婆さんの顔を見ないようにしている。やっぱり怖かったんでしょうね、全然、違う方向を見ているんですね、窓の外へ視線を避けている。二人の雰囲気からしても、服装の様子から見ても、永らく連れそった老夫婦という感じでは全くなくて、たまたま何かの集いの帰りの電車がいっしょになっしまった老男女という感じ。豹柄のスパッツ?みたいなものを丈の長いブラウスの下にはいている今時ソバージュのお婆さんの派手さに反し、しっかりと黒い革製のショルダーバックを抱きかかえようにしている生真面目そうなお爺さん、う〜ん、よくわからない二人連れなんですが、それがどうして二人連れだとわかるかといえば、眉4本のお婆さんが、さかんにお爺さんに向かって何か言っているわけです。しきりに、終わっちゃったねえ〜、終わっちゃった、あ〜、終わっちゃったんだね〜、と言っているわけです。お爺さんが頑なにお婆さんを振り返ろうとせず窓の方を向いているので、お婆さんの声はしだいに大きくなる。終わったんだよね〜、ハア〜、とか大きな溜息までついている。たまりかねたのかお爺さんが一瞬振り返り、何が終わったって?と、やや語気を強めて問いただすと、お婆さんは、えー、え〜っ、何がって決まってるじゃない、オリンピックよお、北京よお〜、と言ったのでした。既に半月以上たっているというのに、眉4本のお婆さんに、今さら北京オリンピックが終わってしまった、なんて、絶対言われたくない!と心の中で自分が叫んだことは言うまでもありませんが、その後も、良かったねえ〜、あれは、スゴイねえぇ、キタジマ、お肉屋さんなんだってねえ、コロッケ、水泳が好きよ、アタシは水泳、金メダルよ、金、とか、なんとかずっと言い続けているわけですが、お爺さんはまたお婆さんに背を向けて、微動だにしなくなってしまいました。自分も、もし、目があったりしたら怖いものですから寝たふりをしました。....考えてみれば、寝たふりをしてお年寄りに席を譲ろうとしなかったのは、初めてのことかも知れません。それにしてもあの4本眉!何がどうなっているんだか。
08年9月5日 〜 NEW ARRIVAL BEST 10より転記
秋ですねえ(まだ暑いんですけど)、秋といえばアキ、八代亜紀ですねえ(オヤジギャグにもなってませんが)、何だか油絵とか料理とか、そんなんばっかで、あんまり歌の露出がない最近の八代亜紀ですが、レバノンの八代亜紀こと、ナジワ・カランを見習っていただきたい!って、事情が違いますからねえ、そんなこと言っても、しょうがないんですが、それにしてもアラブ女性POPの活況、いよいよ本格化していますね。地上最後の“歌謡曲の楽園”とでも言うべきでしょうか。
一歩先んじたナワルから始まって、エリッサ、シェリーン、ミリアム、続くハイファを皮切りに、この夏、ナンシー、サミーラ、アマル、ナジワ、ラティファと、新旧入り乱れて人気女性歌手新作リリース・ラッシュが続きましたが(ディアナはまだか!?ルビィは出るのか?)、なかなか壮観でしたよ。まったくこの勢い、いつまで続くものか、来年も続くのか、それとも、今年の夏あたりで絶頂を極めてしまっているのか、わかりませんねえ...、まるで、判断が着きません。アラブ世界の経済的な伸張がもたらした現象の一つであることはわかりますが、この先、昔のサルサやソウルみたいに?自己模倣を繰り返しながら、いたずらにディスコティック化して行くのか、日本の歌謡曲世界みたいに若年化が進んで、決してエロでもセクシーでもないロリータ化の荒波が押し寄せ、自己愛反映型のオタクでカラオケな商業主義に流されて行くのか?それでもって自分探しの商品化が始まるのか〜わかりませんねえ、その辺は(といっても近年の安室は局地的に最高ですが...)。
でも、以前、何年も前にサラームが言っていたことなんですが、「アラブ歌謡に名盤ナシ」という意味深長な名言〜つまり、歌謡曲ですから、あくまでも一曲一曲の曲単位ですから、名曲はあっても名盤というものはないということ。コンセプチュアルに一つの時代なり社会なりを象徴してしまうような“アルバム”というもの、ジャズやロックから始まった欧米的な“アルバム”としての到達である名盤というものはアラブ歌謡には無関係なんだ、という、そういう奥深い洞察の成せる言葉ですね。まあ、コンセプチュアルな名盤というものが登場してしまうと、名盤は名盤として勿論OKだとしても、それ以降、名盤という現象が目的化されてしまうことにもなりかねない。結果、いたずらに精神性みたいなものが称揚されて、音楽が精神に属してしまう、みたいなことにもなって行くわけで、そういうものが一般に面白いハズはないんですよね、見せものとして、あるいは聞きものとして。そこでは全体的なものとしての精神が尊ばれるようになってしまうわけで、細部の面白さが見落とされちゃうんじゃないかと。でも音楽って、結局、具体的な細部に宿るわけで...云々。
さすが10年以上も前からアラプPOP観測にいそしんできたサラーム海上ならではの名言と言えるでしょうが、その辺の事情を汲んで考えてみると、まだまだアラブ女性POP、健全な聞きものと言えるんじゃないでしょうか....。セクシーやエロが蔓延している点にしても、健全ですよ、見せものとして。誰も、自分探しの歌なんてうたっていないし、恋愛を歌うにしても哀愁がきちんとつきまとっている、いつも切ない。自己愛と恋愛を混同して、はしゃいだりしていません。あるいは、細部を大切している、というか、ワンフレーズのコブシ使いにすべてを賭けているようなところもある。そこんとこ、一票ですね。
って、何言いたいんだか、自分でもよくわかっていないようなこと書いてしまって、すみません。で、何が言いたかったのかというと、アラブ女性歌謡はまだまだ面白い、ということですね。ゆったりと緩慢に、アレンジも、スタジオ・システムも総体として新しくなってるし、 お金もかかっている。ゴージャスな表現の中にも、細部のきめ細やかさが光っている、ということですね。その辺を声を大にして言いたいわけです、商売上。
2008年 8月4日〜new arrival best 10より転記
いや〜、地球温暖化の影響で今日もまた暑いですなあ!温暖化というくらいですから、暖かいぐらいでとどめて欲しいもんですが、ラジャスターンなみの暑さですなあ...(ラジャスターン行ったことないけど)。でも、考えてみれば、やっぱり昔から夏は暑かった。ガキの頃なんか、近所の3級河川でザリガニ捕りしていた時に、友だちが一人、白目むいて倒れちゃったくらい暑かった。それで、しょうがないから、ドブのようだった川の水をザリガニ用の大型バケツで汲んで2〜3回ぶっかけたら「ヤメテクレヨォ〜」なんて言いながら復活して、買って来てあげたコーラとか飲みながらビチョビチョのまま木陰で休んでいたりしていたものですが、今だったらさしずめ「毎日、暑い日が続きますが、本日午後、〜付近の河川で水遊びをしていた複数の小学生三年生のうち一人が熱中症で倒れ、最寄りの病院で応急手当を受けました、比較的軽症とのことです」とかなんとか、地域版ニュースで流されるかも知れないですねえ。(それにしても、何のためにあんなにたくさんアメリカ・ザリガニを捕っていたのか...、後年、ガンボ・シチューの存在を知り、あ〜ガンボ作っておくんだったなあと後悔しましたが、でも、うちの母親めんどくさいこと頼むとローにケリ入れたりする人格者だったからなあ、無理か。それに、見事にキッタナイ川だったし...。)
そういえばガキの頃、当時、地球は新たな氷河期に向かっているとか教えられたものですが、アレはいったい何だったんでしょうねえ。つい 1990年代ぐらいまでは、大方の科学者さん達は次の氷河期をどう迎えるか、みたいな話をしていたようにも記憶していますが、今度は温暖化ですか...。アテになりませんねえ。まあ、音楽評論家の皆さんも(ワタシなんかも末席を穢しつつ)バブルの前後、「ロックは死んだ」とか「21世紀はワールド・ミュージックの時代だ」なんて豪語していたワリには、未だにメインストリームっぽい感じでロックが続いているわけですが...、まあ、その辺の事情と似たようなものでしょうか?いや、全然、似てないですねえ、やっぱり。
というわけで無駄話すみません、と、ここまで、つまらない話につきあってくださった方に、そっとお教えします。...今週の後半頃から、久しぶりにセールなんかしようと急に思い立ちました(そういえば、去年の10周年記念セール以来、全然やってなかったなあ、と)〜
2007年10月1日〜new arrival cd best 10 コメントより転記
先週、おかげさまで当店も開店10周年
を迎えることができました。皆さん、ありがとうございます。
...まったく、だらしないというか、ふつつかというか、いいかげんというか、びみょーというか、がけっぷちというか、...接客態度がなっていないというか、いつも遅刻というか、途中外出はするは、営業時間中に飲酒はするは、挙げ句の果てに長椅子で寝ているはで...、まったく、ご迷惑ばかりおかけしながら10年間、なんとかかんとか商売を続けられたのも、すべて皆さんのおかげです。懲りずにおつき合いいただきまして、本当に、ありがとうございました。
是非、今後とも、よろしく、お願い致します。当店を手伝ってもらっているサラーム海上、そしてポル・マロともども、重ねて、よろしく、お願い致します。
それで、10周年の記念パーティーに関しまして、皆さんからいろいろ聞かれたりもするわけですが、相変わらずですが、その場しのぎの無計画性を露呈しつつ、実は、まだ、何も考えていなくて、すみません、申し訳ないです、お許しを...。年内!?には何とか、皆さんに喜んでいただけるようなパーティーというか、イベント(←この言葉、個人的にはキライなんですけど)
を催したいと思ってますので(忘年会なんかもいっしょにやっちゃったりして)、もう少々、お待ちいただけると幸いです。
また、通販でお世話になっている皆さまにも、何か、少しは喜んでいただけるような特典でもと考えておりますので、それもまた、いずれ、よろしく、どうぞ。
というわけで、いきなり寒くなってしまいましたが、秋ですねえ...。そう、人生の秋、皆さん、いかが黄昏ていらっしゃいますでしょうか?(ハイハイ、すみませんねえ..、どっちかというと当店の場合、中年以降のお客さまが圧倒的に多いものですから、つい、こんな言い方になってしまって、)
当方も、毎度のこと、思いっきり黄昏れていますが、そんな気分の時には是非、キューバ音楽黄金時代に乗りそびれた男?ちょっと遅咲きの下積長男さん?当エル・スール・レーベルからリリースしましたホセー・アントニオ・メンデスを聴いていただければ幸いかと、そういう季節にピッタリですから、ハイ。晩酌のお供に、おひとりでグラスを傾ける時などに、是非、聴いてみて下さい。わたし原田も、ここ数年、丑三つ時あたりに、ひとり飲む時に聴き続けて来たアルバムですから(そういうわけで、全国のオトナのBARのマスターの皆さん、カウンターにお客さんが一人という時には、是非、このホセー・アントニオのCDをかけて下さい、ね。「マスター、もう一杯」の声がかかること必至ですよ。なんと、あのスマーフ男組の松永耕一さんも、ついつい「マスター、もう一杯」と繰り返し言ってしまった、ということですから)。
ところで、ホセー・アントニオの音楽について、何人かのお客様に感想をいただいたのですが、ジョニー・アルフに似た資質だろう、とか、セピアなロバート・ワイアットという感じ?いや、アイヴォリー・ジョー・ハンターでしょう、とか、面白いご意見もいただきました。全体に、ややマイナーポエットっぽい印象を、皆さんお受けになったようです。...実は、正解ですね。ありがとうございました。
2007年9月9日 FROM STAFFにUPしようと思ったけど、思いとどまりUPしなっかった続・追記部分を転記
P.S.「本当の理由」
....ということでエル・スール・レーベル、ホセー・アントニオ・メンデスからスタートということですが、おかげさまで、そこそこに売らせていただいてますよ。ありがとうございます。本来ならば、オープン10周年の記念に、古くからのお客さんには、お配りしたいようなものなんですが、まあ、何というか、それでは本末転倒というか、10年目で閉店ということにも成りかねないので、仕方なく?お買い上げいただいているわけですが、でも、こうしてCDをリリースしたりすると、なんで自主レーベルの第一弾がこのアルバムなのか?と、よく尋ねられもして、まあ、好きだからですよ、というくらいにしかお応えできないわけですが、正直なところを言うならば、ここ数年、一人で酒を飲むときに一番聴いたアルバムだから、なんですねえ、これが...、だからというわけでもないんですが、お買い上げいただいた皆さんで、お酒が好きな方々は、是非、ひとりで飲みながら聴いて下さいね、夜中とかに、部屋なんかを薄暗くして...、静かに、もの思いなんかに沈みながら...、そうして聴いてただくと、全然、これが、違うんですねえ、イイ感じになるわけですよ、大人の男の純情なんかが、聞こえたりして来るわけですよ、あの女、今頃、何しているのかなあ...クソ!なんて思いながらね、飲み過ぎて吐いたりして、ゲーッとかやって、何やってのバカ!とか家人に言われたりしながら...、それが、実に正しいフィーリンの聴き方、ホセー・アントニオの聴き方だと思います、ハイ、そういうわけですから、大人の酒場のマスター及び大将の皆さん、是非、ご推奨したいBGMですので、是非、お店に一枚、ご常備下さいね、ホセーのCD...、ボサノーヴァとか、ジャズ・ヴォーカルとか、R&BやC&Wや、演歌でも河島栄五でも、まあ、いいんですが、やっぱりフィーリンでしょう、これからは!そこはかとない挫折感が漂うホセーのフィーリン、やもめ(死語?)の皆さん、片想い男の皆さん、うだつなんて上げてたまるか!と思っていらっしゃる後ろ向きな中年男の皆さん、正直、この秋の夜長はホセー・アントニオ・メンデスですから!ハイ。
2007年9月8日〜FROM STAFFより転記
<追記> ...というわけで、とうとう出来上がりました。その出来上がりが、予定より随分と遅くなってしまいましたが、まあ、それは、ひとえに解説原稿が遅れたからでして、なぜ解説原稿が遅れたかというと、まあ、わたくし、原田が、遅筆でズボラで崖っぷち?だからなんですが、加えて、キューバにおけるフィーリンという音楽について調べれば調べるほどに、いろいろと認識を新たにしなければならないことばかりで、いろいろと認識を新たにすることに時間がかかったということでもあるわけで...(まあ、当然、これは言い訳ですが)。それは例えば、前世紀の変わり目のトローバという音楽の流れは、ソンというスタイルに吸収されてしまったとばかり、これまで考えていたんですが、そんなこともないわけで、トローバの系譜はフィーリンに継がれていたわけですね。
加えて、1940年代後半に、ホセー・アントニオ・メンデスは、フランク・エミリオやニーニョ・リベーラ、そしてオマーラ・ポルトゥオンドとコンフントを結成していたなんて事実に突き当たると、なんだか、フィーリンの重要性が一段と高まって認識されもするわけで、単にジャズやシャンソン、サンバ・カンソンに影響されたモダーン・キューバ歌謡の流れ、というような認識は改めなければならないと、そうも思えて来るわけです。
あるいは、本CDにも収録されているホセー・アントニオの代表曲「ラ・グロリア・エレス・トゥ」を最初に吹き込んだのは1947年のオルガ・ギジョーNY録音だったわけですが(ロス・トレス・ディアマンテスによるこの曲のヒットは52年)、この時オルガをNYに招き、吹き込みをプロデュースしたのはミゲリート・バルデースで、その時バックをつとめたのはマチート抜きのマチート楽団であり、チャノ・ポソなんかも加わっていたわけで、その事実一つを取っても、何か、これまでとは違ったキューバ音楽の風景が目の前に広がるような気もします。
で、実は、フリオ・グティエレスやペルーチンといったピアニストも、ハバナでは、ホセーらとともにフィーリン一派として通っていたということで、後年、あの有名なパナルト社のアルバム“キューバン・ジャム・セッション”の録音においても、まあ、ゲスト出演という感じですが、メキシコから一時帰国していたホセーがギターで参加していたという事実もあり(同時期にフリオ・グティエレスはオマーラのフィーリン重要作『マヒア・ネグラ』を全面プロデュースしてもいるわけで)、う〜ん、こうなって来ると、要するにキューバで言うところの“デスカルガ”というものは、ある意味、インスト・ミュージック面に発揮されたフィーリン一派の音楽的成果であったとも言えるのかも知れなくて、実際、40年代のハバナで、夜ごと繰り広げられたとされるアフター・アワーズ・セッションは、ホセーも含むフィーリン一派が中心となって繰り広げられていたと語る文献もあります。そんなわけで、まあ、これはちょっと極論になりますが、デスカルガがマンボの温床だとするなら、「マンボはフィーリンだ!」なんて言ってしまいたくなるような形跡も、そろそろとあったりするわけです。
で、そのフィーリンの歌謡音楽面での最初の成果が、結局、マンボと同じように、キューバでは大きな支持を受けることができなかったという事実もあわせて、このホセーのメキシコ録音になるファースト・アルバムだった、と言えるかも知れないと...?どんなものでしょうかねえ。
2007年6月4日〜new arrival cd best 10 コメントより転記
P.S. .....ところで、田中勝則さんが公開されているサンビーニャ日記 5月15日(火)付けで、ギニアとギネア、その国名の呼び方について論じられていて、その中で、原田尊志は“ギニア”と表記しているようだが、その理由について述べよ、みたいなことを書いていらっしゃる、ということをお客さまに教えていただいて、久しぶりにサンビーニャ日記を覗いてみると、なるほど、そういう意味のことが書かれていて、で、同じように名前があがっていた北中さんのブログ wabisabiland pop diary を覗いてみると、なるほど、田中さんの言を受けて、北中さんらしいイイことをおっしゃっている、というわけで、自分も何か書いておかないと、逃げてるとか思われるかも知れないので書いておくと(別に逃げてるって思われても全然かまわないことなんですが)、北中さんのおっしゃっていることに加えて、自分の場合、うちのお客さん達の大部分が“ギニア”と呼んでいるので、それにならってギニアとしているわけで、まあ、あくまでも商売ですから当方の場合、お客さまに従ってま〜す、それが大きな理由の一つ、そして、もう一点、蛇足ながら述べさせていただくならば、国名なんてみんなが呼ぶように呼ぶしかない、というか、通じればそれでいい、というか、結局、国名というものに関して、歴史や近代以降の国というものの成り立ちとか、国語や発音の問題とか、そういうことを言い出したらキリがないと思っていることも確かで、例えば、日本、もしくは日本人の呼び方はざっと挙げただけで世界には以下のごとくあるわけで....、ジーベン/ツェッペン/ヤップン/リーペン/ジャパン/ハポン/ジャポン/ヤーパン/アルヤーパン/イープン/イルボン/ジァッポーネ/ヤポーニヤ/イポーニャ/ニャッパーン/ツェアポン/タポン/ハポン/チャパン/チャバン/ジャパニ/ヤパニ/ジェパング/ジパング/チパング/チパンゴ/ジパンゴ/ジーペングォ/ワ/ウォー/ ワクワク/シャモ/ヤマト/ニホン/ニッポン.....、中には“チャバン”だとか“ウォー”だとか“ワクワク”だとか、なかなか面白いものも多くて楽しいですねえ...、そして、これらは、いずれも、たぶん正しいし、正しかった、あるいは、正しくないと言えばすべて正しくないのかも知れないけれど、でも、そうした呼び名にいちいち日本人が文句つけたって何も始まらないことだと思います。詭弁かもしれませんが、当たり前に、ギニア、もしくはギネアの皆さんも許してくれるでしょう。
....そういうわけで、ギニアとギネア、う〜ん難しい問題かも知れませんが、まあ、考えても結論の出ないことを考えるのは趣味ではないので、この辺で、お許しいただけたらと、というわけで、この問題に関しましては、以後、発言権を放棄させていただきたいと希望します(というか逃げます)。
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